変形性股関節症末期から1年
そろそろ変形性股関節の末期症状が始まってから、1年になります。
まさか人工股関節になるとは…
夢にも思っていませんでした。
1,2週間経てば、以前のように痛みは収まると思っていました。人工股関節になるにしても、後10年くらい先だろうと思っていました。
初期の頃に
運動療法や体重のコントロール等を頑張っておけば良かった… とは思いますが、初期の頃は痛みではなかったんですよね。
患部の違和感が始まりでした。
当時赤ちゃんだったベビチーノ(うちの子)が頑なに同じ方向を向いて寝る子だったので、右半身を下にして添い寝する日々でした。なので筋肉痛的な物だと思っていました。
中期の頃は
ベビチーノが幼稚園児の頃です。
この時は徐々に痛みになって、2週間くらい経った頃は結構酷くなりました。デスクワークをしていて、席を立つとガクンとなるような感覚もありました。このまま歩けなくなる?!と、密かに思った日もありました。
職場の防災訓練で、各部署から数名が代表で参加する〔非常階段の避難訓練〕で8階から降りる事があったのですが、とても出来ないと人に代わってもらった事を覚えています。
この頃は平日の勤務で多忙な部署だったので、病院に行くと言う事は考えませんでした。土日は子供の世話と平日のお礼に実家の家事を引き受けていたのもあります。病院嫌いだった事も拍車をかけていました。
そして末期
考えたら、私の変形性股関節症はたった3回目で末期になったんですよね…
昨年の11月末頃に久しぶりに軽く痛みが出て、また落ち着くだろうと思っていたら日に日に酷くなりました。
確か1,2週間くらい経った頃だと思いますけど、夜間痛が始まって、1,2時間しか眠れない日々に…
更に何故かふくらはぎ~足首にかけて、異様なダル重さと痛みがありました。なので毎日子供にふくらはぎのマッサージをお願いしていました。
慌てて試してみた
ジグリング(貧乏ゆす)も、ゆうきプログラムと言う運動療法でも改善なし。
とうとう12月の恒例行事である町内の餅つき大会で、自宅向かいの仲良しなおば様に「早よう、病院に行きんしゃい。足ば引きずって歩きようやん」と言われてしまいました。
そしてようやく
年明けに病院に2軒行って、さっさと人工股関節にする事を決めました。それくらい痛みが強かったので。鎮痛剤のカロナールもトラムセットも今一つ効かない状況でしたから。
1月に病院に行って、2月には紹介状をもらって九州中央病院に行きました。
主治医の濱田先生に初めてお会いして、ほぼすぐに3月に手術を受けたいと希望を話した事も覚えています。
それを聞いた先生が、すぐにカレンダーを見て「それなら27日が空いてますね」と言った時、本当に救われた気持ちになりました。
「一緒に頑張りましょうね」と言ってくれた時の先生の表情(マスク姿でしたけど)、声は今でもハッキリ覚えています。何というか、本当に頼れる存在と思ったと言うか。医師に惚れる患者がいると言うのも、分からないでもない気がします。決して白衣マジックだけではないだろうな…と(笑)